【本記事は、OSIRO社のコミュニティ献本企画に参加し、献本を受けて執筆しました】
文学は何の役に立つのか。本書は、文学に対して突きつけられるこの「問い」を軸に、
小説家の平野啓一郎氏が小説や映画、芸術作品、自身の創作活動などを通じた考察をまとめた論考集である。
ソーシャルメディアが普及し、様々な言説が生成され続け、何が正しいのか分からない。そして、コスパ重視とリスク管理が求められる世界に生きる私たち。
そんな世の中で、文学作品を読む理由は「今の世の中で正気を保つため」と率直な胸中を著者は吐露している。
一方で、文学にはもっと本来的な価値があるのではないか。
享楽のための読書、作中人物への共感、読者同士の共感、立場が違う他者の理解、政治課題の解像度を上げる…。文学を読むことで得られる様々な効用を挙げながらも、本書は各論考の中で、その答えを探るヒントを提供してくれる。
例えば、「自己責任論」が猛威をふるう社会の生きづらさを考えるうえで、森鷗外の「阿部一族」に対する論考が参考になった。
「阿部一族」はご存知の通り、許されない殉死に端を発する阿部一族の悲劇を描いた歴史小説だ。江戸時代初期に、儒教イデオロギーの過剰化に翻弄される人々の姿を通じて、鴎外が終生拘り続けた「自由意思と不可抗力の相克」を主題にした作品だという。
森鴎外の歴史小説を読むことは、「自己責任論」のフィルターを外し、社会の構造から「今ここ」で起こっている問題を捉えなおす視点を養うのに役に立つだろう。
また、本書に触発されて、私自身の文学体験からも文学の価値を振り返ってみた。
現在は、エンタメ的に享楽として小説を読んでいる私だが、若かりし頃は、青年期特有の「実存的」な危機状況の中で太宰治や村上春樹の作品を耽読した一時期を懐かしく思い返す。
それは周囲との人間関係に不調和を感じ、それまでは安定していた、親や友達との「分人」が占めていた構成が崩れたときだ。その構成比の空白を埋めてくれたのが、文学作品の主人公たちであった。「実存的」な危機にある人に対して、小説の作中人物が「分人」として寄り添い孤独を和らげるという機能は、優れた文学作品が持つ普遍的な役割ではないだろうか。
社会はこの先、少子高齢化が進み、AIなどの新しいテクノロジーの発達により、環境が激変することが予想される。そして、人類はこれまで経験してこなかった新たな「実存的」危機に直面するだろう。
文学には、新しい課題に直面する我々に示唆を与え、孤独を癒してくれる「分人」としての役割をこれからも期待している。

2025/07/20 19:11