サッカー日本代表の目指した「新しい歴史」は
ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で
幕切れとなった。

PK戦は、運も左右するので致し方がない。

でも、「しかたなくない」のがネット上。
Twitterにはトレンドの一位に「PK下手」
が上がり、ネットニュースでは日本チームの
「PKを蹴る選手の決め方」について、批判を
するコメントも多く見られた。「立候補制は、
おかしい」、「監督が決めるべき」など。

しかし残念ながら僕も含め外野の人間には、
PK戦に関して戦術や人選、蹴る順番について
あれこれ言う資格はない。もしそれが存在する
のなら、それは試合後にチーム関係者とは違う
ところ、例えば日本サッカー協会会長をはじめ
強化委員会等のスタッフ、利害関係者だろう。

それでも、僕たち日本国民は今回のサッカーに
限らず、五輪や大相撲、高校野球の成績や結果
以外でも芸能人や国会議員のスキャンダルとか
不祥事、不倫等の男女問題に兎角批判の矛先を
向けたくなる。

言い出すとキリがないので、サッカー日本代表
について僕の知っていることを整理してみた。

(1)言うまでもなく、日本サッカー協会は
法人(公益財団法人)である。法的な位置付け
については後述するが、こう規定されている。
「サッカー競技の普及および振興を図り、
もって国民の心身の健全な発達に寄与すること
を目的とする」

(2)株式会社などの法人でいう当該ステーク
ホルダーは限られた人である。(恐らく都道
府県ではなく)内閣府、取引先や仕入れ先、
Jリーグや社会人、学校やクラブチーム、所属
する選手達やスタッフ、スポンサー企業など。

この度色々SNSその他の媒体で物申している
直接の利害関係を持たないと思われる日本国民
も、選手のサポーターとかファンであるならば
ある意味では「ステークホルダー」なのかも、
しれない。

とはいえ、無署名で行える、ある意味無責任な
批判、選手や監督個人を特定する攻撃的発言は
好ましくない。

これが株式会社であれば、そのような発言権は
原則株主にのみ与えられる。ただし、消費財や
BtoC企業であれば、「お客様の声」対応窓口
はある。

ならば、サッカー協会も「サポーター」が、
エンドユーザー=ある意味お客様とも言える
大事な存在であるから、「耳を傾ける機会」と
言うものを設けることが、今後の日本サッカー
の健全な発展や、時にはいろいろなことを言う
人はいるけれども、これまでより以上に協力
体制を築くことが可能だと思う。

念のために言っておくがなし崩し的に、誰もが
その意見表明のフィールドに立てる、でなく、
もし日本代表に物申したいのならやはり協会や
チームのことをある程度理解したサポーターに
それは与えられるべきだ(その為の制度設計・
判断基準は明確に、しっかりと)。

色々な意見は出るだろうが、最終的には
皆「強くあってほしい」思いだから、
「会長、頼みますね」に収束する。
(もちろん、納得できずに手を上げ続ける、
異議あり!を叫ぶサポーターはいるだろう)
でもそれは株主総会も同じ。

よく「心を一つに」って、スポーツの世界では
出るフレーズだけれども、上記プロセスを経て
心理的安全性が担保されたチームは、いわゆる
集合無意識の面でも選手と僕たちとを繋げて、
まさに国を挙げ強いナショナルチームができる
のではないだろうか。

突拍子もないことを言うなぁ、と思われるかも
しれない。でも今回、なぜこれを記そうかと
思ったかというと、負けてしまったことに関し
「国民の不満解消」「悲しみ・怒りのガス抜き」
としての、いわゆる「声を聞く機会」は適切
になされるべきではないかと考えたからだ。

過去のW杯の歴史の中でも、残念ながら実際
アクシデントは起きている。

1994年、米国大会においてグループリーグで
敗退したコロンビア代表。試合でオウンゴール
を献上した選手が帰国時、射殺された。

1998年、フランス大会では同じく、グループ
リーグ全3戦を敗退で帰国した日本代表チーム
の選手が空港でペットボトルの水をかけられる
事件もあった。

スポーツの大会以外でも、自分が思い通りに
ならないことに対して扇動的な行動をする人は
一定割合いると思うが、少しでもそんなリスク
をなくして、選手の人権やメンタルを守る、と
言う意味でも協会は「開かれた協会」として
サポーター、国民と共存して頂きたいものだ。

お互い「新しい景色」を観るためにも。