ある冬の日、私は「flier book labo」という場所で行われた交流祭に足を運びました。そこでは、荒木さん、近内さん、そして康太郎さんという3名の方がゲストスピーカーとして招かれていました。会場は、温かな光に包まれ、人々は興味深そうに耳を傾けています。私も最前列の席で、これから始まる世界をわくわくしながら待っていました。
最後に話し始めた康太郎さんは、驚くほど早いテンポで言葉を紡いでいました。そのスピードは、まるで軽やかな旋律が空間を駆け抜けるようでした。しかし、不思議なことに、その場では彼が何を言っているのか、私の頭は追いつけませんでした。言葉の一つひとつが心にとどまらず、すり抜けてしまうような感覚があったのです。
ところが、交流祭が終わり、しばらく時間が経ってから、ふと「ああ、あの時こういう意味だったのか」と理解がゆっくり訪れました。康太郎さんの言葉たちは、音楽の断片のように私の中で再生され、後から一つのメロディへと溶け合っていくのです。そのとき心に生まれた感動は、普段の理解とはまったく違う、深く静かな喜びでした。
その後の二次会で、幸運にも私は康太郎さんの隣に座ることができました。彼は自分が早口だという自覚はないようで、周囲の参加者も同じく「そんなに速くない」と言います。では、なぜ私には早口に聞こえたのでしょう? そしてなぜ、リアルタイムではわからず、あとになって理解できるのでしょう?
康太郎さんは「わからないことが半分くらいある状態も、悪くないよ」と笑顔で言いました。さらに、彼の言葉選びは美しく、時おり「さえずり」や「ひびき」といった詩的な表現が混ざります。それらは私の頭の中でいったん立ち止まり、しばらくして流れ込む次の言葉と出会い、ようやく意味が完成するのです。これはまるでドライブ中、美しい景色に目を奪われながらも、後からその鮮やかなイメージが心に染み込む感覚に似ているのかもしれません。
講演のテーマでもある「ひらめき」という言葉が、私の中で大きく弾けました。言葉は単なる情報ではなく、一瞬止まっては、後から鮮やかに輝くものなのだと気づいたのです。そして、康太郎さんはそんな「言葉の魔法」を人々に伝える達人でした。彼は私のような素人の話にも熱心に耳を傾け、言葉の大切さをあらためて感じさせてくれました。
これからは、私も言葉をじっくりと味わい、相手の話す音やリズムを丁寧に受けとめたい。その先に、まだ見ぬ感動が待っている気がしてなりません。世界は、言葉を通して、私たちの心の中に無限の色彩を広げているのです。
2024/12/14 03:12