平野啓一郎原作、妻夫木聡主演の映画「ある男」を観てきた。

以下ネタバレを含むので、これから映画を観ようかと思っている方は今回は飛ばしてください

弁護士の城戸(妻夫木聡)は、かつてのクライアント里枝から、彼女の亡くなった夫、大祐(だいすけ)の身元調査依頼を受ける。里枝は離婚後、子どもを連れて故郷の宮崎に戻り、大祐と出会い再婚。新たに生まれた子どもと4人で幸せな暮らしをしていたものの、ある日、夫は仕事中に不慮の事故死。

大祐の1周忌法要の日、長年疎遠になっていた大祐の兄が訪れたが、遺影を見て「これ、弟じゃないです」と里枝に言い放つ。「谷口大祐」のはずだった自分の夫は、まったくの別人だった!

「大祐」として里枝の前に現れた「男=X」は、一体誰だったのか。なぜに別人として生きていたのか。城戸はXの正体を追う中で様々な人物と出会い、衝撃の事実(Xによって「本物の大祐」は戸籍を入れ替えられていた。そしてXは、元ボクサーの「原」だった。彼の父は、殺人犯だった)をつかみ、里枝に報告をしたーーというのがラストシーン”ちょい前”までのあらすじである。

報告の際に、里枝が城戸に対して言った次のような内容が心に残りました。
「頼んでおいてこんなこと言うのも変かもしれなませんが、、、別にあの人が誰か、調べてもらわなくてもよかったかもしれません」

「私があの人を愛し、花(子ども)が生まれたことは変わりませんから」←台詞の忠実な再現とは違います。ニュアンス、大筋で。

かつて愛した男が戸籍を入れ替えたとか、親が殺人犯だったとかは関係なく、だからと言って里枝が築いた関係、3年9ヶ月の楽しい思い出、授かった子どもが変わるとか、いなくなるとかではない、事実は事実としてある。

彼女は自分に言い聞かせたかったんだと思う。

翻って僕も、いろいろなことを経験してきたけど、過去の事実は事実、今は今。
過去がどうだとか、出自が何だとかとらわれることの無意味さを改めて示唆してくれる内容だった。バシバシ発信していきまっせ!