「どこの高橋さんだよ」って、もしこのブログをお読みになられた方の中にいらしたらすみません。五輪スポンサーをめぐる贈収賄事件の主役の方です。まず、この方をなぜ取り上げたのかというと、タイトルのようなマスコミの論調に大いに疑問を感じるからです。

彼は、

・日本のスポーツビジネスで功績を上げてきた第一人者

・スポーツ界のみならず政界・財界にも顔が効く

・国際的にもFIFAやIOCなどの上層部にも知己がいる

といった方でした。そして電通では専務まで務められた。いわば、ビジネスパーソンとしては「成功者」。確か2013年、東京開催が決定するまでは、多くの人々が彼を尊敬していたはず、だ。
(そりゃもちろん、”かつての”電通※が持つ体質は好(よ)きも悪しきも併せ持っておられたかもしれないが、他の電通社員だって似たようなところがあるだろう)
※今はなき「電通鬼十則」などに象徴される、昭和的な、時には軍隊的な時代の同社のこと。

御年80歳近くだから、半世紀ぐらいは真っ当な(遵法精神を体現した)人生を歩んでこられたのではないか。法を犯してしまったのは、長いキャリアのうちの10分のいちにも満たないと思う。

しかし、ほとんど全てのマスコミが、「けしからん」ということで彼を叩く。オセロでもなかなかあり得ないが、すみっコのとある1箇所に黒の石を置くと、縦・横・斜めのあらゆる方向で白の石が黒にひっくり返る、そんな論調になっている。

それらの報道を受けて、彼の人生のほとんどは、黒く塗りつぶされた。まるで頭のてっぺんからつま先まで、100%ワル、といった感じである。あたかも日本国民の全てが、裁判官にでもなったかのように。

でも、

・電通で彼のお世話になった社員、
・取引先のうちでよくしてもらった会社や人、
・スポーツ現場で彼に感謝している人、
・競技団体や自治体、
・五輪前につながりのあったスポンサー等、
この度の贈収賄で捕まった人数よりも多いのはいうまでもあるまい。

そんな彼に対しての「恩義」や「感謝の気持ち」というものまでは、黒くは塗りつぶせないはずだ。

マスコミは社会を浄化する装置ではない。正義を以って悪人を裁く機関でもない。ただ、すでに起こった「事象」や「現象」を捉えて、それが善悪のフィルターでどちらかに振り分けられるのなら「なぜそうなのか」という裏付けを取り、伝える発信者にすぎない。それを「どう受け止めて」「何かを学び、糧として」「どう自分の心や暮らしに生かしていく」かは耳目に触れた人それぞれが決めることであるはずだ。

自らの心が決めるべき事柄までも、その人とは実生活では何のかかわりのない他者(マスコミ、一部の学者や医者)が決めたようになってしまっているのが今の日本社会ではないか。だから、「屋外で2m距離がある際はマスクを外してもいい」と首相が呼びかけても、ほとんどの人がそうしようとしない。

100%ワルかどうかを決めるのは、他者ではない。一人一人の心、あなたの心である。他に言い換えるとするなら、自分で確かめる「動作」を起こしてからである。

実は、書いている僕自身も、上記のような思考のクセを根深い病巣として抱えてしまっているので、この件に限らず、次のブログではもっと他の例についても述べたいと思う。