目的に沿ってデザインされたものは何らかのシステムに落ちる。AIで高度化されたシステム群は、我々に惑う余白を与えてシステムの外で生きる時間をもたらすかもしれない。
日常に断片のように生まれる個人の感情は、テトリスのブロックが一列揃って消えていくように、相互に気持ちよく噛み合ってくれるものではない。
そうした統合されない、境界が曖昧な感受性の集合体のようなものと一緒に人は生きる。その統合体は時々に形を変えるし、周囲から受ける光や音の波の吸収の仕方や反射の仕方も変える。
ただし、その統合体は、ある時期を生きるための骨格のような、割としっかりとしたシステムも内包することがある。システムなので、フォーマットが決まったインプットを食べて、予測可能なアプトプットを生む。
システムは意図された目的に沿って便益をもたらす。便益という分かりやすさのせいか、統合体の一部であるはずのシステムに我々は引っ張られ、その比重が余りに大きい日々を送っている気がする。
日常を生きるうえで、人は内面化したシステムを発動させて、目的に沿って自分が役に立ったと実感できた時、自己効力感を知覚して自己を安定させる一助にする。そして、システムの外に目を向けることを忘れる。システムは統合体の一部に過ぎないのに、だ。しかし、そのシステムの多くがAIに代替される時代が迫ってきている。
自分なりに社会資本を積み上げることに成功した人は、自己を安定させやすい。そんな成功者になれれば、AIが与える余白を使って、システムの外で今より自由な表現を獲得することや楽しむことが許されるようになるのかもしれない。
平野啓一郎氏の「文学は何の役に立つのか?」を読んで、そんな世界を夢想した。
#文学はなんの役にたつのか #flierbooklabo
【本記事は、OSIRO社のコミュニティ献本企画に参加し、献本を受けて執筆しました】

2025/07/21 21:45