いきなり刺激的なタイトルで「なんじゃこりゃー!」
と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

ただし、全否定ではないです。過去に、「何かを
学ぶことはあっても、それをどう活かすか?という
自分への反映がなければ意味がない」という趣旨の
ことを述べました。

浅田すぐるさんは、読書や学びにおいてwhatとwhy
がインプットされても、では己の中でどう活かすか
(how)ということができていないと、アウトプット
としては未完成だと。又先日の『早く読めて、忘れ
ない、思考力が深まる「紙1枚!」読書力養成講座』
(DAY2)でも、彼が年間300〜500冊本を読む
中で、「だからどうなの?」が記されておらず、結果
としてhowを読者が見出さないといけない本もたま
にある
、ということを仰っていた。

僕の大学在学中の話をする。法学部で、ゼミは環境
法だった。週1の授業は、先生の話、順番で回って
くる学生の研究(?といっていいのかどうかという
ところはさておき)発表で構成されていた。

今思えば、誠に恥ずかしい話なのだが、他のゼミ生
の発表を、指導教員でもないくせに時には批判的な
態度で耳を傾け、辛口な感想を述べることがあった。
そして、僕の順番が回って来た日、皆の前で発表を
したのだが…。

自分で話していて、途中何を話しているのか自分の
中でもよくわからなくなり…、詰まってしまった。
自分ので用意した資料・原稿なのに、「俺は一体何を
この発表で言いたいんや?」と、頭の中がパニック
状態となった。その様子を見かねた先生が助け舟を
出して下さり、なんとか最後までやり切ったのだが、
他のどのゼミ生よりもお粗末なアウトプットだった。

Howがなかった。環境権という、当時はまだ概念で
とどまりが法律の条文には浸透していなかった権利
について、その内容(what)、それが要求される背景
(why)について欧州諸国の事例を調べ、日本の過去
における関連する判例も併せてピックアップした。

で、森としてはどう思ってるの?それから、日本は
どうあるべき?今後どうしたらいいの?(how)は、
いくつか羅列はあったのだろうけど、そのピースが
つながっていないから、聴いている人はもちろん、
話している当の本人も「あれっ?これどういうこと
なんや?」ってわけがわからなくなる。

そうなると、遠慮なくそこは僕なんかよりはるかに
法律に触れ、論文を読み、学会に出て、時には裁判
傍聴もしている先生に聞くべきやろ?でもそれが、
できなかった。些細なプライドと、「自力で答え
(正解)を出して丸をもらう」学習で大学受験まで
突っ走ってきた脳が、それをさせなかった。

勉強って、何かとインプットにばかりに傾注するが、
アウトプットが伴ってこそ、血肉化するということ。
またビジネスの現場では逆に、とにかくやってみて
後から「あぁ、そういうことだったのね」と合点が
いく、後から意味がわかることが多い。
という旨、
浅田さんの著書「トヨタで学んだ『紙1枚!』で考
え抜く技術」で仰っています。

学校の授業ではwhat、whyを積み重ねていくいわば
演繹法で締めるが、ビジネスの現場ではそうは問屋
が卸さない。仮に仮説を立てて実践をしてみても、
さまざまな予期せぬ事態に遭うことや、計算が狂う
ことがある。

そういう意味では、僕が受講に臨み単位を取得した
大学の授業の100%全てにhowがなかったわけでは
ないけれども、実社会に出るための訓練の場、学校
教育の総仕上げとしては、あまり役立たなかった。
ゆえに、表題に掲げたわけである。
この辺の感覚は、学部によって違うのかもしれない
けど…。